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【ワレコのコラム】名古屋城天守閣にはエレベーターは不要。ワテもそう思う。

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名古屋城の天守閣の木造復元計画があるが、エレベーターを付けるか付けないかで揉めている。

名古屋市の河村たかし市長は2018年5月30日、名古屋城木造新天守にエレベーターを設けない、と正式に発表した。

一方、障害者団体からはエレベーターを設置しないのは障害者に対する差別だとの抗議が出ている。

さて、自称、オシロの達人のワテであるがお城に関しては、姫路城、大阪城、名古屋城を見た事がある程度だ。

ちなみにワテのオシロはTektronix(テクトロニクス社製)だ。

オシロとお城は全く関係無い。

さて、当記事では、名古屋城エレベーター論争に関するワテの意見を述べてみたい。

まあ、そんな物に興味ある人は稀だと思うので勝手に書いている。

では、ワテの意見を紹介しよう。

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デジタルで考えるからややこしいのだ

まあ、オシロスコープはアナログオシロとデジタルオシロがある。

ワテはアナログ派だ。

テクトロニクス社製の2400シリーズのアナログオシロが有れば十分だ。

2467Bとか2465Bなら、最高400MHzの帯域を持っているが、素人が趣味の電子工作に使うには有り余る高性能オシロだ。

定価数百万円のオシロが、今では中古価格2~3万円くらいで取り引きされている。

ところが世の中、デジタルオシロが普及している。

デジタル回路は、日進月歩なので、最近の数万円くらいのデジタルオシロでもサンプリング速度が数ギガヘルツくらいの高速なものも多い。10年前なら100万円クラスの性能だ。

そうやって高速でサンプリングして、液晶画面に表示する波形に濃淡を付けるなどして、アナログオシロっぽい見え方にできるようなオシロもある。

まあ、そんな事するくらいなら、最初からアナログオシロを使えよと言いたいが。

さて、名古屋城エレベーター問題について考えてみたい。

名古屋の天守閣に登るのに、エレベーターが有れば確かに健常者でも障害者でも有難い。

らくちんだ。

 

では、障害者といっても車椅子が有れば自分で行動できる人もいるが、中には24時間他人の介護が必要なくらい重症な人もいる。

あるいは、ICUで24時間寝たきりの人もいるだろう。

仮に名古屋城にエレベーターを付けたとして、重度の障害者の人は、エレベーターが付いたくらいでは天守閣に上がれないだろう。

もしICUで寝たきりの人が名古屋城の天守閣に登りたいと希望したとすると、そのベットごと載れるくらいの巨大なエレベーターが必要になる。

かつ、各種の医療機器をエレベーターの中だけでなく、名古屋城の一階からエレベーター、そして天守閣に行くまでの通路に配置する必要もある。

機械だけでなく、医者、看護師も配置する必要があるかもしれない。

まあ、そんな事はやれば出来るけれど、そこまでする必要があるのかどうか?

つまりまあ、障害者、健常者と言った単なる区別では無くて、障害者の中にも重度の障害を持つ人も入れば、軽い障害の人もいる。

あるいは、健常者の中にも足腰が弱くて、階段は苦手な人もいる。逆に、どんな急こう配の階段でも何段でもスイスイ登れる元気溌剌な人もいるだろう。

世の中、アナログ的に考えるべき

つまりまあ、人間の健康の度合いと言うのは、デジタル的な0と1、あるいは白と黒みたいな単純に区別できるものでは無くて、アナログ的に0~無限大に分布しているのだ。

「健常者」、「障害者」と言った単純な分類をするから無理があるのだ。

そう言う状況において、全ての人が満足する解決策なんてのは、現実的には難しい。

具体的に、名古屋城のエレベーター問題で言えば、どんな健康レベルの人で有っても、手軽に天守閣まで登れるようにするには、上で述べたようにICUに入院している人でさえも何の不安も無く天守閣まで登れるようにしなくてはならない。

莫大な税金を投入すれば可能ではあるが、それは現実的ではない。

となると、そのサービスを受けられる人と受けられない人を区別するためにどこかで線を引かなくてはならない。

オシロスコープで言えばスレッシュホールド(Threshold)とかトリガーレベル(Trigger Level)と言うやつだ。

今回の名古屋城のエレベーター問題に関しては、その線引きがエレベーターを設置しないという判断になる。

エレベーターを使わなくても天守閣に登れる人は天守閣に登ってくださいと言う線引きだ。

それが身体障碍者差別だろうか?

では、普通のエレベーターを設置したら車椅子に乗っているくらいの身障者ならエレベーターを利用して天守閣に登れる。

でも、ICUに入院しているような寝たきりの身障者の人は、そんなエレベーターでは天守閣に登れない。

と言う訳で、人間、健常者でも身障者でも、一種類ではなくて、色んな健常者、色んな身障者がいるのだ。

私は健常者だが、富士山に登りたいけれど、足腰が弱いので歩いて登る事が出来ない。

じゃあ、5合目から山頂までエスカレーターを付けてくれ!と主張する事と、このエレベーター設置問題は、本質的には変わらないと思う。

人間、健常者とか身障者とか言う区別の前に、各自の身体的能力、健康状態の度合いに応じて様々なレベルの人が広く分布している訳だ。

理想的には、全員に対して同じレベルのサービスを行政が提供できるのは望ましいとは思うが、現実的には必ずしも全てのサービスに於いて、そんな理想的なサービスを提供する事は難しい。

つまりまあ、何らかの線引きをして、それで切り捨てられる人がいても仕方ないとワテは思う。

もちろん、その境界線を出来るだけ緩くして、出来る限り大勢の人がサービスを受けられるようにする努力は必要である。

行政だけの努力では難しいと思うので、ボランティアが支援するなどで解決すれば良いだろう。

エレベーターの無い名古屋城に身障者が登りたいなら、ボランティアが背負って登るなど。

まとめ

今日は、久しぶりにビールを飲んだらいい気分になってしまった。

たまに飲むビールは美味い。

特に今日みたいな暑い日には。

さて、名古屋城エレベーター設置しない論争は、そもそも、名古屋城の天守閣を復元する際に、建築当時の状態に復元するのが本来の目的で有る以上、天守閣にエレベーターを設置しないのは当然であるとワテは思う。

エレベーターを設置しないからと言って障害者差別だと叫ぶのはお門違いだろう。

この問題は、障害者と健常者の間の問題として議論する事がそもそも間違っているのだ。

健常者で有っても足腰が弱い人はエレベーターが無ければ天守閣に登れない人もいる。

逆に、障害者であっても足腰は健康だが目や耳だけが不自由な人なら階段で天守閣に登れる人もいるだろう。

 

仮にエレベーターが設置されたとしても高所恐怖症の人はエレベーターの有無に関係無く、足腰の障害の有無に関係なく、天守閣に登れない人もいる。

もし高所恐怖症の人の団体が、高いところには登れないので天守閣を低い位置に建築してくれ!と叫んだとして、その意見を受け入れるべきなのか?

まあ、名古屋城エレベーター問題は、そんな要求と本質的には同じだとワテは思う。

弱者を切り捨てるのではなくて、どこかに線引きをしなくては世の中正常に機能しない。

エレベーターを設置しない事が、著しく不公平だとはワテは思わない。

まあ、あまりこんな批判的な記事を書いてもワテにとってはメリットは無い。

でもまあ、表現の自由と言う事でワテの意見を述べてみた。

ただそれだけだ。

しかしまあ、イラストヤさんは、どんなイラストでもあるなあ。

結論としては、イラストヤさんは仕事熱心だ。

なんのこっちゃ!

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この記事には読者の方からコメントが 5件あります。
興味ある人はこのページ下部にあるコメントを参照下さい。

コラム
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コメント

  1. りきまる より:

    私の意見は、健康な方しか上れない城の復元に、どれだけの意味があるのか?
    そんなものを後世に残すほうが恥だと思います。

    ICUとか富士山5合目からとか、極端な例はどうでもいいです。

    車椅子や松葉杖、周りの人の簡単な補助があれば外出が出来る程度の障害を持つ人。
    高齢で足腰が弱くなってきたが、外出は出来る人。

    そのような人たちの、城を見たいと思う権利まで奪って良いのか?
    「史実に忠実」なんて、そんなに重要とは思いません。

    表現の自由と言う事で私も意見を述べてみました。

  2. 猪熊大介 より:

    健常者しか登れない城? それは2018年現在だけです。何十年か先いや何年か先にも車椅子がいらない(医療が発達して病気の克服、医療器具の進歩)とかで車椅子が不必要になった場合など確実に未来としてあやって来ます。
    お城は、何百年何千年先も残ります。名古屋城は、元国宝です(焼失する前まで)今でも国宝級の文化財です。確実に何十年か先には、エレベーターは無用の長物と化します。
    2018年に生きる人たち為だけのモノは長い目で見たらいらないと想う。
    名古屋城は歴史的に見ても最先端の技術で作られてきました。戦争とかで燃えないように鉄筋コンクリート作り、それもいいでしょう。小学生だった当時名古屋城に登ってがっかりしたのはよく覚えてます。「こんなの城じゃない」と。
    城を見たいと思う権利まで奪う・・・そんなつもりはありません。何人にも権利はあります。日本国(憲法で保障)ですから、ただ権利を盾にして義務の履行を主張するのは絶対間違ってます。もっとも義務もあるはずありませんが。
    文化庁に抗議、それもいいでしょうただ、抗議の仕方が間違ってます。エレベーターの設置が最終目的じゃないでしょう?なんとかして天守閣に楽に登れる方法を示せが目的でしょ?それにどうして名古屋城だけに拘るのかが理解できません。エレベータなんぞ、最先端技術でもなんでもありませんし、最近では問題が数多く指摘されています。

    それに天守閣に登れない人がいるのは、松本城、姫路城など全国にいっぱいあります。どうして今までそういうところに抗議してこなくて今回だけ拘る?不思議です。
    政治団体、宗教団体、などまで巻き込んだ、みっともない(はっきり言ってわがままな)抗議は即刻慎むべきです。それとも裏で誰か(エレベーター設置業者との関連も疑わざるを得ません)踊らされている?
    誤解されると困るのですが、登らなくていいと言ってるのでは、ありません。エレベーター設置だけに拘るのは、どうかと言ってるのです。
    幸いこの地方では、小型エレベータ専門企業もありますし、ロボット工学と建築にたけた大学もあります。そういう所に今後を期待するのはダメなのでしょうか?
    なにかと誤解を招く市長の発言ですが、障害者蔑視なんぞこれっぽちも持ち合わせてないと思われます。
    もう少し長い目で見て貰うことはできないのでしょうか?今を生きる自分たちのことだけを考えるのは止めませんか?
    以上。

  3. じろ より:

    個人的な意見ですが、復元の目的は何ですか?
    木造復元してエレベーター設置するのであれば、復元などせず現在のコンクリート造のままで良いですよね。
    だれでも自由に登りたい気持ちは理解出来ますが、一律平等は無理だと思います。
    どうしてもエレベーター設置したいのでしたら、そもそも復元計画に反対する方が良いのではないでしょうか。

  4. 通りすがり より:

    ブログ主さんの考えはどちらにも偏らず、バランスを得た的確なものだと感じました。

    私個人がこの問題からまず感じるのは、城にエレベーターを設置することは、障害者の権利やバリアフリー社会の実現と必ずしも同義ではないのではいうことです。

    この復元の目的はそもそも何なのだろうと考えました。
    多額の資金を投入して改修するのは、やはり歴史的建造物として後世にその現物を遺していくことに価値を置いているのだと思います。
    その中には、お城としての外観だけでなく、構造、材質、間取り、または天守閣までの上がり方、急勾配の階段といったものも含まれるのではないでしょうか。
    歴史というのは物や書物ではなく、当時に暮らした人々の生活そのものだと思います。
    その様式を実際に肌で感じて体験できるものを残すことは、非常に重要です。

    そこにエレベーターを設置したらそういったものは失われて、お城の形をした展望台になってしまうように思います。
    高いところからの景色を見たいのなら、別にお城である必要はありません。
    そのために多額のお金を投入して維持する価値は、もはやないのではないでしょうか。

    確かに皆が天守閣に登れたら素晴らしいことですが、現実には障害を持っていなくても登れない人だってたくさんいます。
    でも、お城はその文化的価値を遺すために維持しているのがまず第一であり、その次に一般公開があるのだと考えるのなら、仕方のないことなのでは。
    あらゆるものに万能を求めて乱暴に障害者の権利を主張をしてしまうと、本当に必要なものに対して社会の合意が得られなくなってしまうのではないかという危機感を感じてしまいます。

  5. wareko より:

    通りすがり様
    この度は小生のサイトにお越し頂きましてありがとうございます。
    お城にエレベーター問題に関しまして、長文のコメントを頂きまして大変嬉しく思っております。